circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

ときどき、アスパラさんが、時間をかけて推敲している間の、未完成の詩、のことを考える。なにか感興が来て、ぶわっと何かを書いてしまったらすぐに見せてしまいたくなる、という病だったわたしは、アスパラさんが、ゆっくり読み返して書き直す人だった、と聞いて、なんで我慢できるんですか、と聞いたか、恥ずかしくて聞けなかったか、忘れてしまった。やっぱり、ぼんやり、としか、風景と空気だけしか、思い出されず。なんとなく、こうあるべきなんじゃないか、という、感じはきっとあって、でも、こうしよう、こういみしよう、というのではなく、というようなことを、たぶん、もんわりいわれたか、もんわりわたしは解釈したかでした。最初からそうもんわりなので、やっぱり、この世にいなくなっても、悲しいというより、やっぱり、そこには秋の静かな青空しかなくて、さわやかな風しか、やっぱりないのです。わたしだってそんなふうに、と思うけど、、、わたしはきっと、しぶとくきたなくも、生き残るのだろう、と、思います。わたしは、世の中に出る前のアスパラさんの詩が、いまのアスパラさんなんじゃないか、というように、思います。