circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

はよねなあかんのに


むかしからなんとなくつんくしのかくメロディーなのか、和声なのか、モード?なのか、分からないけれど、泣きたくなるような懐かしい複雑さを覚えるのは、やっぱり、どこかにぼくの好きな半音階で加工していく感覚があるのだろうか、あるいは人の声でハーモニーを作る事、いや、同じ音型を繰り返しながら和声を半音的にずらしていく感覚?


しんぐるべっどは好きでなかったけど、さみしい夜はつまんないはすごいいい歌詞とおもう。さみしい夜はつまんないだの!ミミッレッシミーですよ!そこでミに戻る!ですよ。あのときの紅白でつんくジャンプしてちょっとよろけたの見た大晦日このかっこよさを一生忘れないでいようと思ったの。


何度もかいているけれど、メモリー青春の光、が、娘の全てだったし、それ以前もそれ以降も世の中ほど興味を持つ事はなかった、けど、あの矢口コーラスの当て方、三度上で当ててくる執拗な感じ、とてもさみしくて、福田さんがいなくなる感、が、なにか、関係ないわたしに、あの最初の、めーもわー、で二人で違う音で最初から、という、短調の和声を二人の声で作っているという、あのかんかく、そしてめーもわー、フランス語のmemoir、と思うのに肩透かしで、メモはやぶってすてていい、という、逆へ揺れる事で、よけいメモワールであるその感じ。そこで、時間止まってる。


友人のくるしさと同じ種のくるしさ、そのうらの天真爛漫さをみて、好きというよりは他人事とおもえないところからずっと気になってしまうつぐながさんについて、やはり音楽についてはあまり興味をいだけないでいた(簡単にいうと音程を当てにいきすぎていて、細すぎて単調な感じがある)が、これのサビでずっとメインボーカルをしているそこの、和製展開なんだろうか、モーダル?なんだろうか、何かが起こっている、そしてそこはももこさんの声でなくては、ならなかった、とても、せいつない
http://www.youtube.com/watch?v=m7TmKMyXIIU

さいしょのすきなんだ、すきなんだっけ、といってるとこの半音階下降進行は、例の同じ音型をメロディーは繰り返しながら(0:22)、和声で下がって行き悲しみを伝えるようなあれで、自然と悲しくなってしまう、それは、とても良い悲しみで、でもそれは前奏にすぎなくてすぐふつうの明るさにもどってしまう。(0:34) ここでのももこさんのボーカルは上で言ったとおりの感触ですっと流していたのだけれど、曲は飛び道具みたいに0:52からかつてなら市井さんが歌っただろうようなメロディーを繰り出して、玉手箱やあとおもう瞬間があむて、0:58からの和声展開が、なんだろう、桃色かたおもいのときに聞いたのだろうか、コミカルの後ろに悲しみを隠していくように半音階下降0:59、と、見せかけて、下がるはずのバスは抜けて、和声がでも下がって行く重力に任せる一方で、メロディーのかも、かも、は、それとは無関係に無理やり一人で上がっていく、という離人症のような事をやりはじめて、どちらが力学を作るのかと思ったところに(いちおうベースはあがりはじめるけど)ひとりでつぐながさんの声が曲を変えるこの感じ、ここは、この声じゃないと変わらないこの感じ、ここから、彼女がえんえんとひとりで歌うこの感じ(あまり知らないが、べり、では珍しいのではないか)、が、ものすごくやばい。彼女の明るい声が歌っているメロディーが単純な明るさでなくて、なんだろう?短調を含んでいるように聞こえる、モードか何か?(いつもどおり勉強なしで感覚だけで話す)ころころと長短が入れ替わっている?とにかく、彼女ののべっとずっと明るい声でないと、この後ろ側の変化がこれほど意味を持たない、ちょっと忘れられずにいる。1:12の、頂点を歌ったあとの下降で短音階で降りてくる(すこし音を外す、それが彼女のデジタルな音程変化を崩していて逆に良くなっている)、そのあとも短音階であなたが一番好き、と、あの明るい声でくる。すき、すき、すき、が、短なのか、長なのか、よくわからない、しからしbへ、しbからしへ、あるいは、しからボイドへの、想像のボイド、のなかへ、なにも考えないようなボーカロイドてきつぐながさんがすきすきやってるかんじ。2:20からなつやきさんとすがやさんが同じ仕事をしたときに、一番でつぐながさんが感じさせたはちきれんばかりの緊張のくるしさが、そこにはなく、そのはちきれそうなあまりの均質な声感が、普段すきでないけれど、ここではほんとうに、彼女でなくてはならないのだということを強く感じさせる。3:00からまたその糸を張り詰めるような声が、一瞬も息継ぎのあいだに緊張を緩ませずにふたフレーズをやり切る、高音で裏返っているときにもそのいい意味でも悪い意味でも強度を失っていない(安定感というといい方に傾く)、それが、すごいいい。


べり、でもうひとつきになるのはこれで
http://www.youtube.com/watch?v=VSNe8UwwVIE

エロい、というのが唯一の理由なのだけれど、この中途半端に幼い子達にこんな強度のある嬌声をあげさせるつんくさんは変態だと思う。1:14、および、2:19。娘、のときに何度かこの種の叫びを聞いたとおもうけれど、その何倍もとくにこの二回目はエロいとおもう。まず、音程があるようでないようでとても微妙で、しかも声もすこしずつずれてる。そして放り投げられている。耳から離れない。叫ぶまえの、例の、半音階下降で長調から短調へ移行するあのせつなかっこよさの中でそれが叫ばれるものだから、しかもエロくない方向のべりによって叫ばれることの、よけいえろさ。なんなんだこのうぉー、は。そしてこういう種の張りのある短調の単調な緊張に一番乗るのはつぐながさんのこえなのだという、一種の意外性。もう、冒頭から顔芸というか、はじでカメラ持ってジタバタしているももこさんが可愛すぎるのだが、これもまた忘れられないのだが、しかしこの人の表情の引き出しはすごいなあと。0:10の口開けた笑顔はほんものとしかおもえない。もう目がそこにしかいかない。0:34にしても2:53にしても、ひとりで、生き生きしすぎている。やばい。