circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

あのとき、僕は小浜にいて、海沿いの崖道を歩いていた。飛びたいと僕は言った。飛べばいいんじゃないかなと彼女は言った。結局僕は飛ばなかった。平日の海に誰もいなく、長い長いいつ終わるのか分からない(死ぬまでかもしれない)夏休みを僕は過ごしていた。彼女がまだ長い夏休みの中にいるのかは分からない。


高野山へ一人で行った時、ユースで将棋を指した女の子と、朝の寺の行事に行ったあと、赤い傘のしたで、Kさんは考え過ぎなんですよ、と笑って言って、またね、またねって別れたことを、その赤い傘と後ろ姿のことを時折思い出す。ふと知れないところに優しさは落ちているのかもしれないし、いないのかもしれない。利害がないところへ行きたい。


利害が人の優しさを阻害するのならば、経済とは何なのか。という考えの向こうに昔から貨幣への、あるいは利息への批判があり、地域通貨などもそこに立脚するのだろう、か。久しぶりに昨日エンデのずっと読んでいない本を開いて、最初だけ読んだ。岩波の固い背のエンデ本の、あの感じが大好きだ。モモもはてしないも、結局あの背の手触りがすべての記憶だ。


利息については本当にきちんと人道的な観点からゆっくり考え直すことが必要なのではないかと思う。時間要素と、価値変動要素と、それぞれについて、なにかしらの寓話が私の中で、必要な気がする。まだ、飲み込めない。善意という銭もまたあるだろう。