circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

オルガンにはマチエールというものがない、手触り、音の中での大小の微妙な変化。だからオルガンは嫌いだ。と、大作曲家Sがいった、とオルガニストの友人が言った。彼女の聖書であるのだろう、メシアンが、一義的にオルガニストであったこと、もちろんバッハも、そしてバッハとメシアンをライフワークに据えるとすればその意味、彼等が、対位法やらリズムやら、も、和声家だということの、オルガンがむしろ寄与する、ところのもの。ひどい言い方だけど、オルガニストとして、和音ぐらいしかなかったのではないか、というより、和音実験装置として一番よいものがオルガンであり、日々それを触れていたということであれば、和声家になりたいわたしが触るべきもピアノではなく。