circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

かつてわたしの中学の先生が、学級新聞の今月の標語に、男は男らしく、女は女らしく、と書いた時の、異常な違和感を私は忘れたくない。一つの権力からその言葉がおりてきて、それが指針とされたこと。それは大変恐ろしく思った。それは彼の理想の押しつけでしかなかった。


また思い出すのは、いじめ問題(わたしはこの言葉をとらない。犯罪と一言で呼びたいのだが)において、前向きに、明るく社交的でないからいじめられるのだ、いじめられるほうにも原因がある、明るくすべきだ、という意見が普通に先生から話されたのをみて、たいへん恐ろしかったことも思い出した。暗くある権利、後ろ向きである権利、と、権利という言葉を使えばまた揚げ足を取られるのだっただろうか?純粋に、恐るべき人格否定だとおもう。まじでやばいよ。みんないじめられないような明るい人格になって、どこに多様な芸術がうまれるよ。