circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

国の利益よりもまず考えるべきことは世界平和だ。国が利益を追求するなかでバランスとして世界平和が均衡点としてあると言うのは詭弁だと私は思う。目的は第一目的にすべきだろう。国の存在意義は市場の失敗を補うための福祉の立場でしかないのではないかと考える。であればかならずしもたくさんある必要はない、ただ管理の問題上サイズの限界はあるだろう。文化と国組織は同一視すべきでないと考える。誇りと言うものをもし持つのならば文化にたいしてであって国組織であるべきではない、まして土地ではないと考える。日本の文化に誇りを持つならば、それは一地域のそれであって、例えば(勝手な一例)広島県尾道市の文化にたいする尾道市民の誇り、というものと、なんら差別すべきでないと考える。そして誇りはけして強制すべきものではないと考える。それは趣味と差別すべきものではないと考える。わたしは出汁が好きだし出汁を生んだ土地にいて嬉しい。だからといって出汁が嫌いな人を否定しない。誇りの強制は人格否定だと私は思う。私は君が代のメロディは好きであるし歌詞の響きも嫌いじゃないけれど、それを誇れと言われたら何様だと思う。誇りは自主的なものであって、押し付けるものではない。男は男らしく、女は女らしくを押し付ける発想となんらかわりがないのだ、日本人は日本人らしく日本を誇れ、という思想は。それは、大変危険である。