circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

わたしは無宗教だけれど、それを誇りのように思うのは違うだろう。でも、わたしからみて、勧誘する宗教というのは正しくないものだという気持ちがある。自分が信じて、自分が正しく生きていれば、自然と尊敬もされるだろうし、考え方に興味を持たれるだろうし、そこではじめて同じものを信じてみようという人がいるかもしれない。でも勧誘というものはそうではないから、いつもすこしいやな気持ちがする。増やそう、というドライブが、気持ち悪いと思う。
子供は当然洗礼させる、と、むしろびっくりしたようにいう人がいて、恋人がキリスト教ではないのに。子供にも選択権があるといったけれど、りかいできないみたいだった。どうも、自分以外のものへかかっていく宗教心というものは、いやなものだなと思う。わたしはこれを信じる、けれど、あなたが自分から選ばないかぎり、あなたを誘ったりしない、ということが、教義の中心にあるような宗教であれば、それがあるべきすがたと思うし、のっけから奇跡ばなしとかできたら、あーあ残念です、とおもう。