circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

蹴上で降りる。いつもの道ではなく南禅寺の方を歩く。新聞を読みながら歩く。人がたくさんいる。大人になってしまったと思う。債権と債務が発生する。子供の時いつまでもあると思っていた実家も、契約上の存在であることを知るし、場合によっては平地になる。この家が平地になれば鹿ケ谷を歩くときぼくは何を考えれば良いのか。南禅寺のまえの車道には側溝というより水路がある。小学校のとき、この水路に笹舟を流して友達と競争したものだ。最後は蓋つきのところへ隠れてしまう…そしてまた出てくる。暗渠、というのだろうか。蓋のしたを流れて行く笹舟を追って走った。写生大会で書いた南禅寺山門のことや、真如堂のことや、カフェ若王子のことや、、吉田山の上の空を灰色で塗りつぶしたとき先生が空なんだから明るく書きなさいと言ったことに対する恨みを僕は忘れないだろう。いまならさしづめアンゲロプロスの名前をあげて抵抗するだろう。真如堂の絵はとても好きだった。あの屋根の組み木になっている部分…大学院のとき建築の授業をとらせてもらってそのときいろいろ覚えたのだけれど、忘れてしまった。駒場第二…駒場第一と第二の間にある公園のこと、近代文学館、あの辺りを毎日一人で歩いた、あらのをあるくようにあるいた
若王子を哲学の道へ上がるとき、Mちゃんの家の表札が外れている。どうしてしまったんだろう。ずっとずっとあっていないけれど、友人の家のまえを通るときは表札だけはみていた。Mちゃんの家のまえの公園で朝六時に待ち合わせて、友人三人で哲学の道銀閣寺まで走った。公衆トイレが銀閣寺にあって走っている途中でいつもしたくなるので我慢が大変だった。そして紙は置いていないのだった。
カフェ若王子は閉店したのか、ずっとあいていない。いちどもはいることのなかった。猫がたくさんいた。時計台は木に隠れて見えなくなっていた。一部の人に有名だと知らなかった。東京で友人から聞いた、乙女のカリスマと呼ばれた人のカフェ本に乗っていた。そういえばむかしそのカリスマに似ていると言われたことがあって、ぼくはでもまだしゃばにいるらしい。
大人になるということは契約の主体になることだという定義が一番重い、と、内田先生の民法を読みながら思う。家は寒くてごろごろして悲しかった。おいるということは整理できない。