circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

死なないためにできることは、音楽をやることではなく、自分にとって今なるべき音楽をやることであろうと思う。その制約。自分にとっては、未来の人たちでも、過去の人たちでもなく、今の人たちとの音によるつながりについて、持たなくては死んでしまいそうだ。ウィーンの音楽院のなかを歩きながら、ここになんとか潜り込めないか、と、全く強く思わなく、事務局で学生の発表会を教えてもらって行って、聴いて、あれれ〜と思った、それをしにいくわけにはいかないのだと思った。聴講した京都のローム小沢塾しかり、といえども、小沢さんが現れる前に逃げた自分は卑怯だったのだと思う。このまえむらかみはるきとの対談を読んで、それは例のローム塾のあと京都で飲んだところから始まっているのだが、京都コンサートホールの裏でみた絶望かんを思い出しながら、小沢さんはいいことをいっているなあと、名鉄バスに乗りながらだから思えたのか。