circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

スクリャービンのことばかり考えている。あの人の書いた和音はやはり他の人と並べて数段病んでいて、数段違う次元のオリジナリティに立っている。モンポウはたとえば、彼にしかやはり書けない鐘のような和音を書いて、本当に本当に素晴らしい。それと、今いう次元の話は多分違って、スクリャービンはここで向こうを夢見ているのではなく、すでに向こうの王者としてある/あると思い込んでいる。たとえばモンポウは、かれがこちら側であることを自分で知りながら、向こうの世界を夢見て生きることに決めた人の音がする。だからいつも美しい。スクリャービンがいつも美しいわけでない理由は、美しいという判定基準はあくまでこちら側の人間がすることだからだと思う。ある意味、スクリャービンはこちら側で人間がどう思おうと気にしないほど向こうの王者であり、基準なのだろう。それが、惜しい気がする。この世から一番離れた人は、地球語を話せなくなってしまった、という感じがする。