circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

じぶんのためのメモとしての。
原発は嫌であるし、地震があってから運動が盛り上がって、えっ今更?と思った。相手が弱っている時に、足を狙う柔道選手みたいだ、と思った。あの時、いまはそれより大事なことがあるし、と思ったし、議論は一気に、ではなくて、落ち着いてきちんと、するほうがいいから、まだ混乱しているさなかで活動を始めた人たちを好きになれなかった。卑怯、というのに近い気持ちがした。
落ち着いてきちんと、というなかには、資源のない日本という国や経済が、電力供給を減らして、どのような産業構造にして行くべきなのか、地政学もふくめ、どうすれば、レス電力でグローバリゼーションのなかを生き残れるのか。脱成長を目指すのか、そもそも、目指せるのか。目指すべきなのか。あるいは、レス電力で同じ世界的地位を保てると能天気に思うのか。そこを深く議論されれば、意味があるなあと思うのだけど、残念なことに、そういった方向ではなく代替エネルギーとか、素人が議論しても今更な話へ行ってしまう。別にいいのだけど、それ以前に、代替エネルギーをつかって今と同じ生活がしたいのかどうなのか、そこをノー議論でまとめていいものなのだろうか。はっきりと、貧乏でいいじゃないか、という声をぼくは聞きたいし、逆にはっきりと、世界一でないと生き残れない、未来への負債より今生き残ることだ、という即物的な声をぼくは聞きたい。みんな本音はいわないんだなとおもう。ぼくの本音は、タイムスパン的に人類滅亡後にも残る有害物質の責任を人類は取れないから今すぐゴキブリさんに謝罪して死ね、というものです。