circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

濡れ雑巾、あめ、自転車。のりながら、勝手に日本語ロックの最高峰と思っている雨という歌をさけぶ。退屈という名のバスに乗って。バス!というバの叫び。繰り返し繰り返して練習しても、あのすごいうたごえには届かない。命がかかっている。主旋律だけじゃなくて、コーラスにも。すごいことに、はもりは重要なのではなく、ひとつひとつのヴォイスが、重要なので、それがなんと美しい和声だったのか、という、そのあり方はビートルズだけしかできなかった、ほかはハモりは後景化するか、個の声であるより集合的意識や、調和が意識される。ビーチボーイズのうたごえたちは、ブライアンの宇宙観のためにある。でも、ジョンとポールが歌うとき、お互いのことを考えていないかのように自由だ。ジョンが重ねて録るときも、ハモり部分は透明に、なんて一つも考えず、すべてのヴォイスが自己主張する。雨における岸田しは、そのビートルズの複数の声のあり方をそのまま継承できている、すごいことだと思う。あの、さーあ、という掛け声のなかに、退屈というなのば!すが。