circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

ひとの匂いのする文章、って、あるよね。小説が小説になったとたん、それが消えていくことも、あるよね。詩もそう。わたしは匂いがそこにあり、温度がそこにあれば、それはつながっていることで、書きてたい読みてではなく、わたしたいあなたに
なれるとおもってる。広告的な、あれではなく。広告的なあれって、「だよね。」とか百万人にむけて言うから嫌い。もっと、個人的なつながりは、布団の中のような、恥ずかしいもののはずなのに。