circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

Dieu parmi nousをここ数日ずっと聞いていて、メシアンがこれを書いたのは27歳。恥ずかしげもなく、惜しみなく、光のような和音を書きまくっているのは、わたしはそれが大好きなのだけど、でも若さなのではないか?わたしが好きなメシアンは若いメシアンではないか?すこし時系列をみようと思います。ドビュッシーも。


メシアンが過去になりつつある、とは、わたしはまだ思えない。ラヴェルでさえ、いちばんいいところは一般にはまだ知られていないとおもう、ドビュッシーでさえ。たけみつばかり見るのでなく、その参照点であったメシアンを見つめないと、和声的な意味で、たけみつを外挿できない、線を延長するためには、二点が必要だ。ラヴェルから、メシアンへ、そしてたけみつへ行ったあと、和声を現在に生きるには、どこへいけばいいのか。複雑化することが全てではないし。


メシアンと同時代性について、再開した人と会話。ちゃんと長く話すのは小学生以来とか、めまいがする。