circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

落ち着いて。死はまだそこまで来ていない。


大丈夫。私があなたを抱きしめなくても大丈夫。あなたを抱きしめてもあなたから恐怖は去らない。その恐怖に根拠はないのだから。その恐怖に根拠がないから、あなたは自分で根拠のない恐怖を抑える業を覚えなくてはならない。


死はまだ来ていない。一人で暗闇に横たわっているから、その連想が襲いくるだけ。死のこと以外考えられないぐらい暇だから死のことばかり考えていただけ。


生のために何かしなくてはならないことがあればそんな暇はないわけ。だけど、生にそれほどしなくてはならないような必然性や切迫感は本当にあるのだろうか、という、窮極の問いは、そう、資本主義の窮極に存在するその問いは、なにひとつ答えられてはいない。


ドラえもんドラえもん、ポケットになんでもあるのであれば、どうして生きる必要があるだろう。ホリエもん、ホリエもん、お金でなんでも買えるなら、どうして生きる必要があるだろう。生きることに不都合がないのなら、望むものが得られずに切迫して生きていないなら、望むものがなんでも手に入るあきらめの中で、どうして死のことばかり考える暇にあふれてしまわないのか、あるいは、あなたたちは、暇をもてあましても生の意義や死の意味に思い悩まないほど能天気なの?


でも大丈夫、大丈夫、死はまだそこまで来ていない。あしたになればあなたを抱きしめる人もいるだろう、あなたが抱きしめる人もいるだろう、だから大丈夫、大丈夫、まだ死はこない、まだ死はこない、まだ死はこない。


あなたの感じる美はいつも死の隣にあって、あなたが美しく生きたいのであれば、あなたは死に近づいていくことになる。でも美しくない人生ってなんなの。お金でなんでも手に入るならその人の人生の美ってなんなのホリエもん。素敵なレストランで恋人と素敵なご飯が食べられるイメージよりも、シモーヌ・ヴェイユの人生の最期のイメージのほうが美しいわたしはどう生きればいいの。求めて求められないから苦しむのではないの。求めて求めることができるならマーラーはあんなに美しい音楽を書かなかったのではないの。悲劇が複雑な響きを生むのでないの。


「あなたは根源的に死を憧れる人生を歩んでこられたのです。これは病気ではありません、人生のひとつの時期、引き延ばされた青春時代なのです。」


それでもわたしは美しい生の衝動を見たい。わたしは死にたくない。わたしは、死にたくないのです。