circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

3/24 金曜日 天気不明


何故、今日日記を始めるのか。つづくかどうか分からないのに。
今日は二年生最後の日だった。この日は僕の人生の転機になるのか。
この一年、いやなことばかりだった。その一年がおわったのだから。
でも、すっとした気持ちではない。一度傷ついた心は元にもどらない。
今、すべてを忘れようと思う。すべてを、すべてのいやなことを。
普通の人間にもどろうと思う。
でもそれでいいのか? 今まできずき上げてきた悟りを捨てて。
こんな悟りは人間としての自分によくないことはわかるけど、それ
はまるで奇蹟のように、自分に宿ってきたのだから。
人と仲よくするために俗性をとりもどすのか。
常に大きくて純粋で無垢なものを見て、その美しいsightを
現実にあてはめることができずに苦しむのか。
都市の云万$の夜景よりも
スイスのアルプスの方がどれだけ純粋で美しいか。
げんに都市はくずれ去った。
人は自然を抜けだして美しさを忘れた。
僕は生まれてくる時代か、国か、星を間違えたようだ。
中世のヨーロッパに住みたかった。
アルプスを見上げブルックナーの境地に。
しかし彼も人間の俗性があったが、なぜだろう。
そんなものをみていると、自分が孤独で小さすぎて、いつかは死ぬとい
う寂しさがわいてくる。それに耐え、それを祈りとか、愛とか、信仰と
かに昇華させることができたらいいのだが僕はそれに耐えられぬ。
その孤独が、また自分を人間たちのもとへ帰らせる。
それじゃ悪循環じゃないか。
それをたちきるため、
もいちど人間にもどろうと思う。
でも本当にいいのだろうか。
自己中心に楽しく生き、死ぬか。
自分よりも上のものを、美しく純粋無垢なものを見ながら死ぬか。
世の中を、宇宙を、色メガネで色とりどりに見るか。
純粋で透明な目線で宇宙を見るか。
それがこの春休みにかかってるのだ。
受験より大きい何かを。