circustic sarcas

Diary of K. Watanabe


ホイッスラーとの関係性について
ところでホイッスラーは、当初ビアズリーに対して比較的冷淡であり、わざと落胆させるような無作法な振舞いに出たが、これは、ビアズリーが文学者仲間と結びつこうと努力したことと多少の関連があるかもしれない。特にビアズリーが親しくなったワイルドと、終生気が短かったホイッスラーは、小さな衝突を重ねていた。それはたいてい長年にわたる悪気のないものだったが、時には徹底抗戦の状況にまで追い込まれることもあった。さらにホイッスラーの嫉妬も、その原因のひとつと考えてよいだろう。ビアズリーがずうずうしくも、彼の絵や版画、そして特に「孔雀の間」の装飾から学んで利用するやり方に、ホイッスラーはいらいらしていたのだ。なるほど、ビアズリーの初期の日本風様式は、日本の画家の作品、特に「浮世絵」とよばれる様式化されたグラフィックな版画作品から、彼が直接得た知識をある程度示している。しかし彼は、東洋的なモティーフと伝統を借用したホイッスラー自身の独創性からも学び、さらに多大な影響を受けたと考えられる。