circustic sarcas

Diary of K. Watanabe


 ワイルドが感じ取ったように、「ビアズリーの思考には、いささか悪趣味な笑いがあった。彼が描くグロテスクの背後には、何かしら奇異な哲学が潜んでいるように見えた」。その哲学が本質的に皮肉なのか諷刺なのか、あるいは空想的なのか単に茶目っ気に過ぎないのか、いつもおおいに頭を悩ませる問題であった。ビアズリーの死後、初めてまとまった形で論評したアーサー・シモンズにとって、その答えは明白だった。近代的な感性の展開にとって重要な人物とビアズリーの関係は、容易に位置づけることができる。「ビアズリーは信念のない時代の皮肉屋である。彼はボードレールのように地獄しか描けず、反対に同時代の天国のほうに目を向けることはなかった」。