circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

あこがれという名前の何かに押し潰されそうになっています。あこがれというものは、わたしが持っていないものを持っている人への好意であり悪意であるのでしょう。それがどうしてこんなにも蜜のような中毒性をもって私に粘りつくのでありましょう。わたしはわたしに自信がない。だからあこがれる?そういったものなのでしょうか、そういったものではありますまい。たとえ自分に自信がついたとして、それでもあこがれというこの中毒からは逃れようのないようにも思えるのです。それは他者へ伸びるつよい引力のようなものであるかに思えます。しかしそうはいいつつも、あこがれ、envyする、ということは、やはりよくないことのように思え、自分が自分で満足していれば、まったく他人にそのようなことを感じなくてもよくなるのではないかという理想像を描いては、その現実感のなさに呆然とするのみであります。