circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

0405

考え杉、といわれる。いちど、マゾヒズムを「やめてみる」という渡来アンドエラーをしたらいいんじゃないかといわれる。渡来アンドえらーというものは、アイデンティティの放棄を意味しない、なぜならそれはトライなのだから。もしそれが、やっぱりアイデンティティであり俺のコアコンピテンシーだと思ったなら、取り戻せばいい、といわれる。僕は株の話をする。損きりって出来るか?彼は言う、損きりはつらいけど、システムに任せれば勝手にやってくれる。俺にだまされてみろって。お前わかってんだから、一度その自分を攻めるのを捨ててみろって。といわれる。楽に生きてみなよ、もし自分のアグレッシブネスをあとで後悔するんだったら、やめたらいいじゃん、我慢してコントロールすりゃいいじゃん、衝動的に生きつづけたり、死に続けたりしなくてもいいじゃん、ってさ。生きてみろよ、楽しく、生きてみろよ、それを、トライしろよ。もしそれが、損きりしたあとで、あがってきてしまったら、かえばいいんじゃん、ここぞというときに、買い戻せば。捨てるというのは、必ずしも永遠にさよならすること、じゃない。って。