circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

つまりはこういうことなんだ、セックス自体に意味はない、その運動自体に意味はないし、君が一生懸命調べてみた体位なんてものも、結局意味なんかなかったんだ。それ自体には。それより本質的なところは、驚いたことに君が求めていたものとそんなに矛盾するものじゃなかったんだ。人の温かみとか、落ち着きとか、そっちだったんだ。それで、君は男性的な、というか、雄雄しいものが嫌いだったように、今の僕でも、同じことを考えていて、その延長線上で女の子が好きだし、その延長線上にしか性的なものは存在しなかったんだ。つまり、会話のきっかけとか、共通体験のきっかけ(こういうのはきっかけとはいわないでしゅだんというのがふつうだけど、僕はきっかけということばがぴったりする)にすぎなかったんだ。で、今でも僕は世界が女の子だけだったらよかったと思うし、自分の男性性を嫌うよ。だけど、いや、ここじゃ逆接じゃない、順接だな、「だからこそ」、ぼくは女の子と一緒にいるのがとても好きだし、二人だけで話していてぜんぜん退屈しないんだ、男の子と話しているといつか退屈するけれど、女の子とだったらたぶん永遠に退屈しない。きれいだもの。かわいいもの。で、そうやってずっと一緒にいたいという気持ちが君の恐れていた性欲というものそのものだったわけだ、僕にとって。だから、今みたいに自慰後に考えることはやっぱりそういうことで、自慰なんて意味がないな、ってことだ。でもたぶんこんなことは自慰後の男の子がみんな考えていることで、自慰すら否定していた君はやっぱり純粋主義過ぎるところがあった、純粋の幅はじつはもっとひろい、セックスだって純粋だし、美しいものであるよ。絵としても。あるいは文学的にも。肌で触れ合っているという状況でしか生まれない言葉や概念があるし、そういったものが音楽やなにかに結びついていくことがある(逆にそれを体験していないことが大きな強みでもあったんだと思うけれど)。で、相変わらず僕は生まれ変わったら女の子になりたい。みんなそう思っているんだと思っているんだけど、それは違うに違いない。わかるよね?10年経っても僕は僕だったし、すこしだけ視野が広がってみて考えていることはやっぱり詩と死だ。僕を動かしているのはエロスじゃなくてタナトスだ。いまだにそれはそうだ。未来なんて来なければいい。そんな後ろ向きな姿勢で今も生きている、だけど確実に、後ろ向きだけど世界は広がってってるし、おもったほどそれは酷いものじゃないってことだったんだ。つまり世界は暴力に満ちているわけではないし、男性のなかにも女性性があるし、優しさの時代だし、そして性は必ずしも悪じゃないってことだ。君が悪だと思っていたものは少しずつ悪性を失っていきつつある。