circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

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神からの啓示。今日昼、次の啓示が来た。Kさんに電話すること。「女神」の次に僕はNと付き合い、彼女を愛しながら同時に女神を愛するという状態になって苦しんでいた。それもNと別れる多数の理由の中のひとつになったのだろうけれど、Nと別れたとたんに僕はKさんという人に恋したのだった。女神を忘れて、次にKさんが一時的に僕のベアトリーチェになったのだった。しかし、Kさんは僕をあくまでも友人として見ていた。友人関係を保つために僕らはしばらく絶交することにした。僕のKさんへの恋心がなくなるまでの絶交。僕は今日の昼までKさんに電話する勇気はなかった。今日昼、今Kさんと話さなくていつ話すんだという啓示が降りて、電話するが、出なかった。あとになってメールが来た。チャットしようという。久しぶりにKさんとチャットで話す(文字で)。Kさんは現代にこんな人が生きているんだと久しぶりに思ったほど純粋に素直で優しい、しかもかわいい女の子で、僕の定義によると「恋は一目ぼれ、二目ぼれ、三目ぼれまで」の三目ぼれのタイミングで僕はNと電話で別れ、次の日にKさんに三度目ぐらいあってその瞬間に恋したのだった。神が降りたように。僕は面食いである上に内面も大切にしたいという贅沢病なので、僕自身がこんなダメ人間なのでなかなか恋ができないんだが、このときも彼女のお眼鏡にかなわず、絶交するという経緯を辿った。友人としてとても楽しく付き合っていけそうだったのに、どうしてか僕のほうで徹底的に惚れてしまったのである。僕は変態なので彼女の字にまで恋していたし、彼女の全てを肯定して、次の女神に仕立て上げたのである。妄想の世界。僕にとって恋愛はセックスにつながるものではなく、女神妄想につながるものなのである。そして彼女は僕の変態性をよく理解していた。さて1年ぶりに彼女とチャットしてみて、やっぱり彼女は素敵な人だった。僕は彼女に救いを求めた、会って下さい、僕はあの女神を殺さないと鬱から立ち直れないんだ、そして君を女神妄想として僕の中に残していないか確かめたいんだ。彼女は言った。「意味不明」。「会いたくない」。彼女は僕の変態性を理解していて、僕の被害妄想も、僕のM気質も、全て理解していた(全て当時話していたし)ので、今そんな変人に会いたくないのである。彼女は彼女で今激動期で、大体同じ道を僕らは歩んでいるのだけど、彼女のほうが3歩ぐらい先を進んでいる。鬱から立ち直り、被害妄想や気遣いや見せ掛けの優しさを捨て、強い人間になること、頑張ってさまざまを切り捨てる練習。やりたいことをやって、非難されたら「それがどーした」と切り捨てる練習。そのかわりやったことには責任を持つということ。全て僕がやるべきことで、わかっていながら僕ができてなくて、彼女はいまそれを既に始めている。こんなことは普通の人は普通にできることなので、僕ら普通でない人は普通にみんながやっているレベルまで自分を上げなければ、努力しなければならないんだと思う。彼女は、今の僕に会いたくなかった。だから会いたくないと言った。会いたくないということができる彼女のことを僕は素敵だとおもった(激しくMである)。僕もそうありたいと思うけれど、救いや助けを求められればいつも答えてしまうし、それどころか求められもしない救いや助けの手を伸ばしてしまう。そしておせっかいに終わり、全ては失敗、無責任。それよりも、有言実行のほうがいかにかっこいいか。助けをことわり、自分を大切にすることのほうがいかにかっこいいか。僕は彼女に助けてくれと言った、会ってくれるだけでも、僕には助けになる、と言った、彼女は、会うだけで助けになるなんておこがましい、キモチワルイ、そんなの会いたくないと言った。そういえる彼女は強いとおもった、1年前とおなじく、彼女は僕よりずっと強いと思った、しかし彼女は十分に強くないと自覚していて、僕よりもやっぱり3歩先を歩んでいる、結局僕らは会うことも電話で話すこともしばらくできないことになってしまったけれど、今日のチャットだけで僕はずいぶんまた救われた、また、女神としてのAは薄まった。ぼくは17歳でとどまるわけにはいかない。世間のなかで、何かをしたいんだ、何かをしたいんだ。素敵な人間になって素敵な人と一緒にいたいんだ、素敵な恋人をつくりたいんだ、そのためにはAは殺す必要はない、残しておいていいんだ、だけど変態的にこだわらなくたっていい。僕はくすりと自分の力でその変態性と被害妄想と見せかけの優しさを殺す。ある程度の強さと自分勝手さと責任力と行動力を育てる。そしてもともと持っている優しさと両方使えるようにする。バランス。バランス。基本と例外、中心と周縁、なんだっていい。てきぱきともできるし、優しくもあれる、そういう人でありたい、周りにとって素敵でありたい。セカイ系からの脱出。まわりとコミュニケーションをとること。自己中をやめること。相手の気持ちを本当に考えること。周りを見ること。同時に自己主張をすること。他人を切り捨てる勇気もときに持つこと。僕はもうすこし前向きな女神を持ったのかもしれないし、これはもはや女神ではないのかもしれない。Kさんと僕が会えるのはまだまだずっと先のことだろう。僕の鬱が直り、彼女が満足な自分を得るまでの、とてもとても長い時間。