circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

12/14
悲しかった。
僕はどこへ行ってしまうのだろう。
分からなくなってしまった。
最後通牒のような感じがした。
みんな帰ってしまった駅で
僕は小田急線を待ちながら
iriverロスト・イン・トランスレーションを見た。
ロスト・ロスト・ロスト
ロスト・ロスト・ロスト
ボブ・ハリスはシャーロットに「書き続けろ」と言った。
僕は何をし「続け」ればいいのか。
新宿で山手線に乗り換えた。
シベリウス5番に変えた。
iriverは優れもので、ビデオを見れれば音楽を聴きながらテキストも読める。
癒しがほしかった。iriverに保存してあるキキさんの詩群を読むと、
心がしずかに癒されていった。


たとえば2001.1.8投稿の「新世界」から聴こえてくる、息や声の長さ。息。生き。ているひとがそこにいるという。ているひとがそばにいるという、感覚。このひとはいきのながいはなしかたをする。このひとはいきのながいかたりかたをする。そのかたりに自分を共声させてたたずんでいる。いっしょに「なみあむだぶつ」と言って、すこし黙ってみる。強制されず、共生するかたち。共声するかたちの言葉について。

はなしかたやかたりかたがその人の感覚ですらりとかたちづくられているようなかんじをうける、それは初期の詩を見ているとなるほどこのひとのはなしかたの原型はここにあったのかというのが分かるような気がしていて、ご本人の了承を得たので(笑)リンクをはるのだけれどたとえば「+α」という恍惚初期(1999.4.22)に投稿された僕の好きな詩がある(ご本人は恥ずかしがられるのだけれど)。僕はここにある「うた」がすきだ。意味は真っ直ぐで分かりやすいし、作者の、のちのもうすこし直接性の薄れて雰囲気が醸し出されてくる詩群からみると、ほんとうにおどろくほどまっすぐなんだけど、こういった場所にこそ、そのひとの原型があるきがして、その原型はやっぱりそのひとの「うたいかた」だったんだろうな、とおもう。

 右手に太陽  左手にメロディ

 あなたの幸せを考える

という言葉をいまでもふと思い出す。そしていつも一番最後でノックアウトされてしまう。
この詩ではうたのながさが短い。あとになってながくなってくるのはそのうたがかたりへと変わっていくからなのかもしれないし、そうではないのかもしれない。そのかたりはいつもしずかで、格好をつけていなくて、とても自然なので、だからぼくは山手線の中で泣きそうになっていた。「ゆうぐれの地図」をじっくりとゆっくりとよむということ。「ように」ということばを、赤子の頬をなでるように、ゆっくりとやさしく発音すること、なにかとてもたいせつな、なにかを壊してしまわないように。2004年度の詩群。ゆっくりとした声、ゆっくりと息をすることを許されているような、ゆっくりと生きることを許されているような、ときどきはっと息を吸ってみたり。


優しさ。


自殺するのは優しくないという人がいて
だからぼくは生きつづけている