circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

死というコトバについての考察(またしても)


死にたいというコトバの危うさについてこの前は語ったが、今回は終止形死ぬについて語ろう。といっても結論は簡単で、「ぬ」で終わる動詞(頻出の)は「死ぬ」しかないな、と今日ベッドでごろごろしながら気付いたのである。この事実(「ぬ」で終わるのが死ぬしかないという)が「死ぬ」というコトバを、なんというか、とても特別なものにしてしまっているのではないか。病的で甘美なものにしてしまっているのではないか。とおもうのです。「死う」とかだったらよかったのに。死ぬの「ぬ」に完了助動詞「ぬ」のにおいが同時にするのが非常にまずい。


他のuで終わるのはたくさんあるはずで、

  • う:飼う 払う 負う とか
  • く:書く 聴く 輝く とか
  • す:刺す 消す 耕す とか
  • つ:立つ 勝つ 撃つ とか
  • ぬ:死ぬ だけ?
  • ふ:あ、これは現代では「う」に行っちゃったから除外
  • む:踏む 噛む 挟む とか
  • ゆ:これも古語だけだな。。。除外
  • る:する 語る 蹴る とか


古語では
いぬ 【寝ぬ】→現代語では寝るへ
かぬ 【兼ぬ】→     兼ねるへ
かさぬ 【重ぬ】→    重ねるへ
とか、ぬ終止もあったのだが


(この方式で【死ぬ】→死ねるだったらよかったのに。そしたら、「死にたい」は「死ねたい」になるし、「死ね!」は「死ねろ!」になって、なんか攻撃性が減る?)


結論としては「ふ」とか「ゆ」終止の動詞は現代語では絶滅したのに、「ぬ」終止は「死ぬ」だけしぶとく生き残っている!という(わたしとしては)大発見なのである。つまり、それほど「死ぬ」という2音節語は強烈にいいやすいために生き残ってしまったのだ(たぶん)。それがいまの自殺願望者の思考に及ぼしている影響は大きいだろう、と思うのです。ところで、ぬ終止の動詞(普段使うもの)ほかにあるかもしれないので、みつけたらコメント欄ひらいてるので教えてください。



あと「死ね!」って書く代わりに「死ねね!」て書くと、かわいいと思う。