circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

死にたいという言葉の甘美さを思う。
その発音について
shi-ni-ta-i


生きたいという言葉の無理について思う。
i-ki-ta-i


その違いは第一音のshの有無と第二音のnとkの相違に過ぎない。


今試みにそれらを入れ替えてみると


しきたい     あるいは   いにたい
shi-ki-ta-i          i-ni-ta-i


と言うものになり、現在存在する単語から拾うと「敷きたい」と「往にたい」となり、後者は相変わらず死を意味してしまうが、前者はそうでもない。どちらからも「死にたい」ほどのネガティブなオーラは感じ取れない。どこかに発声のどこか無理が発生するから、そこに生のエネルギーを篭めなければならないからであろう。


死にたい、と生きたい、をゆっくり発音してみると、shi-niの二音はとてもなめらかに発音できることに気づく。つまりs-nのつながりは発音しやすい。頭の音がsなのが発音しやすい。強烈な摩擦音。そして次に舌が奥へ向かって内側で第一音のエネルギーのまま楽にnが発音される。ほかにはたとえば「スヌーピー」とか。死にたいというかわりにスヌーピーと考えるというのは悪くない手であるが、事実僕が一番死にたいときにいつも携帯していた本はスヌーピーのシリーズだったのである。


生きたい、という発音は無理があると書いたが、実際母音から始まる単語だから大変エネルギーが要る。死にたい、と小声で言うのは、第一音のshが響きやすいので楽であるが、生きたい、は、響かしてくれる子音がないので、純粋に声帯でがんばらねばならない。そして次にくるのがk音であるが、これも強烈な音で、母音から続くにはかなりのエネルギーを必要とする。たとえば「赤い」とか。気が弱っているときに、生きたいという言葉を繰り返すのは、かなり無理が生じるように思う。一方死にたいと言う言葉はあまりに甘美だ。祖先たちに、逆に作っておいてくれればよかったのに、と恨み言を吐く。