circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

無氏「いまここに第三世界の農村開発という本があります。途上国開発の専門家のための学術書です。しかし、この本こそ啓蒙書としてごく一般の人々に読まれてほしい本なのです。私は別に開発の専門家ではありません。右腕にホワイトバンドを巻いてはいますが、彼らに同調してでのことではありません。浪費する自分への手錠としてです。一日かければ辿りつける所に、いま人が死んでいるということが、私にはいまだに信じられません。何時代の話ですか?一方ではモノが余剰するほどシステムが完成しており、一方ではモノが常に不足するシステム(そんなものをシステムと呼びたくありませんが)があり、その二つのシステムはまったく隔絶しています。いまたとえビル・ゲイツが全財産を寄付したとしても、それだけで一瞬で貧困が解決するとは思えません。すべて食費と無駄な初期投資に使われて意味がないというケースは十分に考えられますから。システムが回り始めるには、金だけではなく知性と時間が必要です。さて、反グローバリズムを唱える人たちは、この二つのシステムは、隔絶ではなくマイナスの関係を結んでいると言います。一方、グローバリズムを唱える人は、二つのシステムが結ばれることにより、閉じた貧困のシステムが開かれて貧困が減るだろうといいます。私にはどちらが正しいのか、まだよく分かりません。しかし、わたしに判ることは、とにかくいま、一日かければたどり着ける場所で人が死んでいるということです。そのことは生きている限り認識し続けねばならないと思っています。十字架のように背負い続けて生き続けなければならないと思っています。私は偶然日本に生まれただけなのです。上の本で、ロバート・チェンバースは淡々と農村開発の方法論を述べます。しかし時に、かれは激昂するのです。貧困の現場を見ている彼は、或る必然性によって激昂し、なんと学術書の中に詩を書くのです。人が死ぬ現場のことを。私は涙を流しました。世界中で、開発に関わって現場で苦しんでいる人が、この本を読んで涙したと聞きます。そして、もちろんこの本から開発の世界へ入っていった人も多いでしょう。私は詩の、そういった力を信じています。必然に駆られたとき散文から思わずスピンオフしていく詩というものが、あるような気がしています。」