circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

それでもわたしは、ごめんなさい ってなる。現代詩フォーラムをみてて、ある詩にみんなが票を入れていて、とくにぼくの好きな人たちが入れてて、わたしはどうしてもわからないばあい(たいていがそうなんだけど)、すごく、ごめんなさい、ってなる。(その詩のよい理由がわからない。説明してもらって、はじめてわかる、かもしれない。だからわたしは愚にみえるに違いないけれど、ポイントを入れたらその理由を書く。たぶん愚にみえるだろうし、じっさい愚なのだろう。)その詩のよさがわからない感性のわたしが、しこしこ社会に向けての詩(+みたいなもの)をかいておるよ、とおもう。それから、とてもかなしくなる。わたしはどこにいるんだろう。わたしはどこにいても、どこにもぞくせないかなしみをなんとなくせおっていきている。みんなそうなんだろうか。みんなどこかに疎外感・齟齬感・違(/異)和感をもちながらいきてるんだろうか。







「コルコヴァード」試訳



しずかなよる しずかなほしたち 
わたしのギター しずかなコード
ただよっていく しずけさのなか

しずかなおと しずかなゆめ
しずかなこみち しずかなかわ 
まどのそとにはコルコヴァードああなんてラヴリー