circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

●喜びの島/疾走エリス、ノタメノめも

ひろい海岸、奥に海岸通り、奥には住宅地、その奥には山。舐めるようにあがっていく画面。
違うな。
もっとせまい、ゆったりとしたせまい空間のような気がする。暑い。ベトナムのような。シンガポールのような。オレンジ色のカクテルが置いてある。バーにいる。ひろくて、壁がない。そこでワンダ・ヂ・サーみたいなのが歌っている。舐めるように横に流れる画面。つねに通奏低音としてギター。なんか、ずっと続いているだるさ。日光?それが独特の時間を作る。流れ続けて止まることがない怠惰。ゆったりした人たち。喜びのために生きている人たち。それは概念であって、もっとどういう画像があり、物語があるか考えなければ。なければ。誰の物語?Aにして置こう。Aと老人の出会いの話?なんでそんなの撮りたい?自分の中にそんな映像があるのか?
むしろ僕は日本にいるんじゃないか。だらだらとしたAの部屋にいるんじゃないか。それで、くだらないことを言いながら、ブラジルの怠惰な時間に憧れている。憧れている人はほかにもたくさんあって、カリフォルニアにもいる。ブラジルにも。いろんなところで、僕とAがボサノバに耳を傾けながら、いろいろなブラジルの絵を書いている。雨降るブラジルの風景。ブラジリアン・ランドスケープ・ウィズ・レイン。しかし東京。夜。雨。暗い中に暗い照明で、だらだらとしている。夜にいろんな打楽器を玩ぶ。へたくそなんだけど。画面は一転してブラジルの風景。PVみたいなの。やたらみんなナイスバディーで、海岸のベッドに仰向けでオレンジ色のカクテルなんて飲んでる。誰かが(Aなんだけど)ギターを弾いて、僕が裏声で歌っている。ふたりともじいさん。
この空気をいっぱいふくんだ声はマイクと閉じた空間で初めて可能になる、ということはホテルだ。映像が浮かばない。なにもうかばない。白い壁、プロジェクタで白昼に映される青い空青い海白い建物。ゆるりとした時間。
エリス。曲がった腰でバランスを取って歌う、鳩を手に乗せて。雨を突っ切って走る。疾走だ。なんでそんなに疾走するのだろう。喜びの島についてかこうとおもったのだけれど、かけなくなってしまった。雨音とともに流れていってしまった日本語。疾走する流れ。ナーダ、ナーダ。日本語の流れに任せて川を下るような作品があったんだけど僕はあんなの書きたいのかなっしゅ。かいてみればあああああっ??ああああああっ!q