circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

森の中へ書き、読み進めて、どんどん中へ入って行くときに、聞こえていた音楽。樹の。




その後、パステル画『仏陀』等に至って、人間は、樹木と等質なものとして、何か宇宙を貫流している一つの大きな生命力を分かち持つようになる。背後の色彩に覆われた空間もまた、そうである。色面たるに留まらぬ。パステルの色と色との中間の領域は、限りない奥行きと広がりを見せ始める。
(略)
「芸術家の打ち明け話」の中で、ルドンは、一本の樹木と化して、「死ー再生」の過程を生きようとしていた。

弥永徒史子「再生する樹木」


論文に仮装した詩のような本だった。著者自体の持つ幻想を仮託される力が、文から憧れを発散している(それも、仮託されるもの、として)。女性研究者という、おそらくわたしとある人種に共有される原型を烈しく刺戟してしまう、人生を送った方なのだろう。少なくとも、わたしは死んだ後にこんなに愛を描いてもらえる人であれば、たぶんわたしも、と思ってなびいていく種の人間なのだろう。







樹の、樹木の。ジズモンチのおそらくもっともうつくしく内省的なこのうたを聞きながら(それにしてもなんと美しいのだろう!)表紙の樹の黒さを見ている。絶望的な黒さ、基本的に短調の響きの中で、ふと顔を見せる長調がなんという、あたたかなひかりであることだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=obIHQEtOoQ8