circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

終わらない夏
http://youtu.be/j_JkZs1Ku9c
7:45から。ケイプ・コッド。
かれほど美しくにほんごえいごをつかったひとをしらない。
にほんごえいご=えいごわしゃにはともかく、にほんごの文脈の中でうつくしいえいご。
パイルという曲名を、えいごわしゃなら絶対につけない、そんなにいい語感の題名ではない、とえいごわしゃはいい、かれは、わたしにはいいごかんだ、という、そのときに、必然性が産まれる。その必然性がわたしに共感される。パイル、いい響きだと私は思うのは、わたしがにほんごわしゃだから。意味をふかくしらないから。パイルが使われてきた長く古く深い文脈を知らないから。にほんごの文脈のなかで、にほんごにない、なんだか分からないが、たしかに積み上がるかんじのあるすてきな言葉のようにわたしはおもい、かれもおもった、かんちがいとして、あるいはただしいかんとして。


ケイプ・コッド。なんども泣きそうになるこのうつくしいごびょうしの中間部。終わらない夏。雨の山の中の。アーリーサマーレイン、草の匂いのする。美しい緑と、うつくしい水と、赤い橋と、小さい空と、閉塞感と、自殺願望と、飛び降りれなかったこと、くびもつれなかったこと、ずっとたてずに辛くて寝ていたこと、子供とみずどりのはなしを、三日ねながらきいた。ぼくの病気のなまえはしほんしゅぎでは、ないよ。けいぷ・こっど。


なんとうつくしい、わおん、かつてかかれた、もっともうつくしい、無調を通り抜けたあとの、有調