circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

詩集が作れないかな、と過去のものをぐるぐる読んで、夜更かしをする数日、健康にとても悪いし、当時とてもいいものを書いた気でいた私は、どうしようもなく下らない、取るに足りないものしか書いていなかったので唖然として、自分のことは客観てきにみることなんてできないんだなと思う。とても残念だし、とても残念だ。下手なものは恥ずかしいし、でも下手なもののほうが、立っているのが、それもまたいやだと思う。自分のことは自分が一番わからないのか。とにかく残念だと思う。書き散らした日記のほうがきっとずっといいに違いなのに、日記をどうして詩集にまとめられるというのか、なんで詩集にしたいのか。死の場所から八十八箇所を巡ってこの世界へ帰ってくる、遍路としての詩のまとめをした遠くの人が、自分にとって大切なひとにだけ小冊子を届けていたこと、そして私は欲しいといえなかったし、いったとしても、たぶん、なにもそこから読みとれることなどなかっただろうということ。光年単位で離れている人がいて、追いつかないのに、追いかけるまねばかりして、そんなうちに天空のスケートリンクへ去っていく人さえいたのに。