circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

スクリャービンが無調的混沌へ紛れ込んでしまう作品番号40番代において、本当に「最後のうた」と言えるものが45番の1だろうと思う。信じられないのはこの質の親しみやすさと不安定の幸せな結婚が本当に一瞬しか続かなかったことで

カフェでぼんやりしていたらジャズに混じってこの曲だけが流れてきて、きれいやなーと思って油断していたら、この曲は心臓を最後に刺すことを忘れていて(ホロヴィッツ0:57)その非和声音がカフェのガヤを飛びぬけてきたのには、本当にびっくりした。本当に、飛びぬけてきたんだよ!


(うた、とひらがなで書いたことは、ぼくのなかで唯一これだけが少しだけタケミツにつながるから。ほんとうに、スクリャとタケミツを繋げるものはほとんどないと思っているのだけれど、唯一の細い線がジャズだと思っていて、しかしスクリャがジャズということはあまりにも短絡でありつつあまりにもふか彫りされていない、タケミツの方向とスクリャの方向に和声はあるに違いなくて、そこにとても美しい心臓を貫くこのようなしゅんかんがあるにちがいない!