circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

わたしは本屋を歩き、本を十冊抱え、
レジへ行く途中に、そんな金を持ち合わせていないことと、ほんとうに欲しい本はそれらより高い本だけど、何冊も買えばその本より高くなっていることや、結局そうやって安くたくさん(そして安くはない)買うことによって積ん読の罪悪感が増すことも知っているのに、買ってしまうのはなぜかと言うと、それは知への渇望ではない(もしそうであれば積ん読にしないはずだ!)。それは消費セラピーか?物への欲求か?違う気がする(すこしはそうだ)。わたしは生きていていい理由だけを探している。漱石先生のロンドンはまだ続いている、本を買うという鶴橋が、その中に、これだった!という鉱脈をがちりと掘り当てないだろうか?そんな他人任せではいけないだろうか?