circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

詩はやって来ない。そんなにすぐには。


昔書いた、ルドンとたけみつとスクリャとソクーロフを並べてその輪郭の曖昧さと、(繰り返しと、)輪郭を失った側の色の美しさについての思考は、なかなかよかったんではないか、とおもいはじめている。


スクリャをでんわごしにこいびとに聴いてもらうと、とても美しく弾けて、わたしには、ひくことに集中しない耳が必要で、その耳に憑依することによって、ひくことを忘れることができるのだとおもう。憑依するためには、まっすぐな媒体が必要で、わたしが恋人に求めるのは、たぶんまっすぐさなのだろう。恋人は鏡でもあるが、まずは、その人を通していきるミディアムではないか。