circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

武満が長い歌を歌えない人だったかどうか知らない。でもわたしはそう思っている。彼の書くメロディはいつも断片で、あのうつくしい波の盆も歌は途中で終わってしまう。三月のうただって、とても短い一つのメロディととても短いもう一つのメロディがサンドイッチになっているだけで。武満はとても美しい、だけど短いメロディを歌った。だからこそほとんどの演奏家はそれらを歌えない。もし武満が最期のリヒャルトのように長い美しいメロディを書いてしまっていたら、彼の曲はビジョナリーの風貌を失うだろう。一瞬の切り返しで世界を見せる事。エリセとタルコフスキーとルドンを愛した人。僕はこの三人を武満を知る前にもっとも愛していたから武満のことを他人とは思えない(この一文は音楽的と思えない)。
http://www.youtube.com/watch?v=acF_2djjjBY
(いい演奏だとは思わない)
5で書かれたおよその音楽で一番美しい、この曲の、2:33から歌われる遮られた歌。(もっと5であることの夢を見させなくてはならない)この歌は一瞬にして長くなくてはならない。一瞬にして太くなくてはならない。とても太く。
そして5の足取りで階段を下りていく0:43。一段ずつに驚きがあり、そこまで降りていくのか、と半音階の美しさ。エロティックにまゆを寄せていくような、とくに最後の一段、0:55は悩ましく深くなくてはならないと思う。SGがなんとすばらしく弾いていた事だろう。なぜ、なぜあの人は早く武満全集を出してくれないんだろう。