circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

いま、もうぼろ雑巾のように寝込んでいます。小細工だけできる無能が、やりたいことから逃げ続けていればこういう風になるのだといういいモデルとして本でも書こうかと思うほどの自己嫌悪です。「東大生の書く分かりやすい鬱への転落」あるいは「東大卒26歳いかにニートになりしか」あるいは「鬱東大生かく語りき」とか。全く村上龍に笑われるために生きているような人生でした。龍先生いわく「東大生は嫌い」。先生、あたしを13歳に戻してください。


やりたいことが理性的に不可能で、本能的にそれがやりたい場合、理性が正しいにもかかわらず、おそらくは向かっていって早く挫折したほうがよく、しかし挫折をつねに恐れた私(というよりは、かっこ悪いところを見られると命に関わるということを中学生時代のいじめで悟らされた私)はおそらく、だれもが文句を言わない勉強の道にひた走ったんだろう。もしいじめられたりしていなかったら。もし家庭が円満だったら。もし、優等生たることを制度から強制されなかったら。私はいつも優等生だったし、体育と美術を除けばたいていオール5だった。小学生に、そんな5段階評価を与えていた京都市教育委員会を私は今憎む。そんなリニアな価値観を押し付けられたら、その価値観が、小学生というもっとも重要な時期に押し付けられたら、ある程度(所詮は≪ある程度≫)頭がよい子供は全て、夢よりも成績をとるという人生を歩むに決まっているではないか?私は勉強より本を読むことを好み、絵を描くことを好み、ピアノを弾くことを好んだ。しかし全てを座礁させたままで勉強に突入したため、私はいまやまともに本も読めず、絵もかけず、ピアノも弾けない人間になって、しかも勉強なんて、大学に入れば無意味なのだった。そこからさきはモチベーションの問題であって、オール5の問題ではなかった。というわけで大学に入ってすぐ私は鬱になった。


親や中学や教育委員会を恨む気はない。すべてはありえない仮定法ifだし。いちばんいいifは、ドイツかフランス駐在の家庭に生まれて、小さいときからオペラ座にしけこんで、んで、音楽院に入ったり、コレペティとかやったりして26歳になっていれば、私はそれほど多くのものを望まなかったと思う。私は成功が欲しいのではなくて、安定が欲しいのでもなくて、自分の望む音楽像を実現したいだけだった(小学生のときから、ピアノの先生の音楽のあり方に反抗し続けていた)し、いまでもそうなのだから。


ありえない仮定法ifについてはもう考えるまい。私はそういう家庭に育ったのだし、いままで生き延びてこれたことについて、少なくとも母と祖母には感謝しなければならないだろう。愛されてきたかはわからない。今の自分は自分ではないと思っているから、愛されていてもそれを感じないのかもしれない。いつまで自分でない人を演じるんだろう。わけが分からない。死にたい。


でも内なる道徳として、私は死ねない。災害にあったり人災にあえばいいと思うけれど、自分からはどうしても無理な気がする。言葉にできないけれど、それも足枷としての内なる道徳として。


原因をたたくことでもなく、夢を考えることでもなく、私はとにかく人生の大半を占めてきた鬱から抜け出すことに集中すべきなのだろう。すべて鬱のせいだ。すべてすべてすべて鬱のせいだ。だからこれを潰せば何かが見えるはずだ。いま不可能な解が、最適解として降りてくるはずだ。今は何をやっても無駄だ。直すこと以外、多分考えても無駄なんだと思う。本当だろうか?


振り返ってみて、どうかんがえても鬱になるために生きてきた人生を、ひっくり返すことなどできるのだろうか。鬱が晴れた後に待っているのはどんな世界なのだろうか。