circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

鬱のまま、上京できずに。薬のないまま、頭を抱えて電車に乗れずに。山奥に残って、「父であった人」とその奥さんとその奥さんの娘とあたしと4人で「エル・スール」を見る。久しぶりに、大音量で、ワイドスクリーンで。見るたびに、これはこんなにもすごい映画だったのかとおもう。すべてが完璧で。いつもあの南の写真のシーンで涙が出る。彼女の真剣な視線。あまりにも南で、つぎには、あまりにも北で


今回気がついたのは、「エストレリャ」がスペイン語で「星」と言う意味で、星の含意のもの(特に彼女がいつもつけている指輪)がいろんなところに登場すること。


光の白さが病的な蒼さで、教会の




ラヴェルが使われているとは知らなかった。


いつみてもこのグラナドスの5番のわざと歪んだピアノで弾かれた演奏が、一番美しい演奏だとおもう。E majorとEminorを行きかいするこの曲は2回使われる。一度目はあの写真を見るシーンでEmajorへ転調し、二度目はEminorに転調し(ギターに似せた同じ音型のまま、線対称に。)たまま、本来続くはずの旋律を奏せず急に音楽と映画が死ぬ。


涙が何度も出た。


それを見られたくない人たちの中で。


あるいは少女に見せてはいけない映画を見せてしまったかもしれない。














































泣くしかないじゃん!