circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

ぼくとあなたが非実体を通して繋がっているのなら、ぼくはたぶん死んでいてもいいし、あなたもたぶん死んでいてもいい。
 
あなたは毎朝モールス信号の電話をかけてくる。つー、とんとん、つー。あなたはそれを100年前に仕掛けたのかもしれない。ぼくは送り返す、つー、とんとん、つー。100年前のあなたはだいたいぼくがどんなことを言うか知っている。ぼくとあなたは非実体を通して繋がっているのだから。100年前のあなたはぼくがどんなことを言うのかに対してまた明日の朝モールス信号の電話をかけてくる。つー、とんとん、つー。つー、とんとん、つー。
 
ぼくにあなたはみえないから、あなたのこえすらきこえないから、単音の長さのなかにあなたを想像することしかできない。あなたはおとこかもしれないし、おんなかもしれないし、そのどちらでもないのかもしれない。でもたしかにあなたはぼくとおなじなにか(ひとなのかもしれないし、そうでないのかもしれない)だということ。
 
あー
 
20年前の少女の大声が聞こえる。彼女は小声でしか話さない人なのに、大きな声で叫んでいた。上野の水上ホールで、わたしはとてもしあわせですー、こんなひろいところにいますー、わたしはそれを今うけとっていた、あなたの見えない幸せをいま、だれよりもまっすぐにうけとっていた。
 
ぼくとあなたが非実体を通して繋がっているのなら、ぼくはたぶん死んでもいい。でも、たぶん、生きていたほうがいいんだとおもう。たとえばセックスは実体を通して非実体に触れる(ない)ことだとおもう。実体がないところへ手を伸ばしていく、向こうからも手が伸びてくる、見えない空間で、手がふとふれあうことがあり、そしてまた静かにはなれていく。手ははなれていくけれども、あいかわらずぼくとあなたは非実体を通じて繋がっているのなら、それでいいし、でも、触れられないものに触れようとする想像力のことを、ぼくはとても大好きだから、ぼくは生きていたいとおもう、あなたにも生きていてほしいとおもう。
 
あー