circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

不眠なので「ふーみん」と思い、出てきた顔は聖典「すごいよ!!マサルさん」の主人公ではなく、細川ふ○えだったのだが、それも訳があって、2日ほど前に読んだインタビューでなんと蓮実重彦が細川ふ○えのことを「フーミン」と呼んでいたのが蓮実氏に似合わずインパクト大だったからであって、しかし細川踏み絵というのは悪くないダジャレだと思い、わがダジャレサイトに書き込もうとおもうと―ところでわがダジャレサイトのアクセス数がすごく増えていて鬱病者は怯えているのであるが―ぐぐれば細川踏み絵程度はたくさん出てくるのでしょげて、しかし細川といえばガラシャであり、こうなってくると俄然細川ガラシャは踏み絵を迫られたのか気になるところであるが、そのへんきになってウィキペディる(ガラシャの生涯はかなり面白かった)と、なんと細川ガラシャ石田三成に殺されているのであって(1600年)、つまりまだ踏み絵(1629年)は始まっておらず、ガラシャが踏み絵を迫られることはなかったわけですね。ただ、秀吉は既にキリスト教を禁じていました。ガラシャ明智光秀の娘なんだって。ほー。なんだか昔たぶんこういうの大河ドラマで見て覚えてたんだろうなあ。今更ビックリする。光秀に生まれ三成に死す、という、歴史の敗者に挟まれたキリスト信者の女性、と。すごいね。ふーみんからはずれまくったね。