circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

20051220
to be human
にんげんであること
すでにチャップリン(それ以前からも)がやっているように
にんげんが機械になってはいけない
にんげんはホモ・ファーベル(機械をつくるひと)であって
ホイジンガが言うにはそれ以前にホモ・ルーデンス(遊ぶひと)であるらしいが)
ひとが機械になるというのは逆の発想であって
だからぼくは戦争機械とかいうことばは苦手だ
人間を機械に喩えるのは苦手だ
(とか書くとsiesta macchinaさんへの皮肉みたいに読めるかもしれないけど
そんな含意はないのですよ!)
生きるということ
人間のリズムで生きるということ
あるいは
人間として
生かされるということ
人間にではなく
よろずの神か天かユング的世界かよくわからないけど
そういったやんわりとしたものに生かされるということ
宗教みたいだな
そんなつもりないんだけどな
気持ちよくいきること
自分をまもること
機械に
ならないこと
焦らないこと
時間に追われないこと
逆に時間を追い越すぐらいに
遅く
それでも機械であるならば
願わくば都電荒川線