circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

ふたたび、フレージズム。


ぼくがだれかのことを「天才、すごい」と呼ぶと、それを天才と思わない人が「ぼくはそうはおもわない」、とどこかで反論するに違いない(そしてそれは当然の権利である)がために、ぼくはその天才(ぼくいわく)についてあまりいろいろかかないほうがいいのではないか、とおもったりもする。だけど、ここはあるていどかくされたばしょのつもりだし、ぼくがここでだれかの詩をほめたとき、ぼくは読者に甘えたいのだ。読者が、「こいつはこんなこといって賞賛しているけど、なっとくできない」というわけだったり、相対的にバランスをとらねば、だったり、そういう理由とか何とかとにかくそのひとの詩とか文について理性的な批評を加えるのが非常に怖いので、書きたくないのだが、しかし書きたいのだ。だからぼくは読者に甘えたい。ぼくはあなたに甘えます。キモチワルイでしょうけど、甘えます。


しかしどうしても天才(ぼくいわく)は隠れたがる性質があるらしく、もっと自信をもって社会に出て行ってほしい、と思うんだが、いや、まあそれはいいや。ぼくはそういう人たちが大好きなんだ。ぼくのすきな天才たちがんばれ。いやがんばらなくてもちょっとずつでもあなたのやりかたで書き続けたり休んだりしてください。ぼくはそれをものかげで応援します。それがたぶんぼくというもののやくわりなのであろう。