circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

裏庭朗読会について。嫌な空気を発する人がいなくて、特別な場所だなあとおもう。嫌な空気を(あるいは)へっこめているのかもしれないけれど。しずかで、すんとした空気が流れる一瞬がある。それを作ることもできる。白山の映画館で沈黙を置いた時、時計の音のほかに、会場の形からか、沈黙の広がり方があまり美しくなくて、いろんな濃度ができてしまう。よるのひるねというばしょは、小さい教会のようで、一人の人が話すと空気の濃度がそのひとの声の濃度に一瞬にしてなる。





はっとりさんって方の初めての朗読に撃たれた。青い鳥文庫宮沢賢治をランダムにめくりながら読み、自分の独り言を挟んでいく、例えば、「よるのひるねをさがして警察に行くと夜の蝶って店なら知ってるっていわれた」みたいな。その独白と宮沢賢治のあるようでないような不思議かつ即興的なリンク。声の震え方がリアルに感じている感じで素晴らしかった。詩は、レディメイドではダメだとおもう。その瞬間その場で読むと言うことが、朗読者の人生の中で、なにか意味のあるものであってほしい。練習の延長ではなく。原口さんは、地にしっかり足の着いた安定した声でイタリア語を読まれた。恥ずかしながら全然意味は分からなかったけれど、それがたぶん彼の意図であったので、音楽として聞いた。いつか自作が聞いて見たいなとおもった。ワニラはいつもどおり、チャレンジングで、間の取り方がすごくかっこいいとおもった。擬音のくりかえしとか。キキさんも相変わらずしっとりとした声で読まれていた。彼女の震える声もまた心地いい。また自作を読んでほしいなあとおもった。ユーリさんの八木重吉はすごく楽しくて、彼女の解説もよくて、「西郷隆盛」の発音とか笑った。かのじょの発する単語はぜんぶおもしろいとおもった。はなしもおもしろいんだけど。太郎さんの読むしげかねさんの詩もすごくおもしろかった。りっとさんのいつものシュールな挨拶と、きどらない読み方もとても好きだ。もはや朗読と言うよりお話しのように読まれるあの読み方はまねできないし彼だけのものだ。そのナチュラルさはあるいみ武力也さんににているのかもしれない。林さんの、不安定な小さな声もまた、小さな部屋をひとつの色にして、懐かしい雰囲気だった。自作を聞いてみたいなあとおもった。





自作を読む場合と他作を読む場合のなにか基本的に違う部分があるのではないだろうかと考えていた。とくに間の取り方。うまくいえないので、一つの喩えですべてを語ってしまいたい。
「作曲家が、自作を、楽譜に書いていないルバートで弾くように。」
僕は、できるだけ小さな声で読むための最小音声のtest「きこえますか きこえますか …こえ……… き…えますか ……きえますか…」と、春の嵐ttp://po-m.com/forum/showdoc.php?did=28159(改稿したものを読んだ。後日改稿アップ予定)と、霧ttp://www.geocities.jp/kztony/shizumeru/hinan/yonamono.html(これも改稿したもの。しかしこれは朗読用に解説を加えたのでほんとうに改稿するか迷うところ)を読んだ。霧は、僕が始めて人前で読んだ詩で、思い入れがあったので。これでもう朗読するのを最後にしようとおもって読んだ。霧にはじまり、霧に終わろうとおもった。だけど、もしかしたら次に裏庭があれば読むかもしれない、いやたぶん読んじゃうんだろうな
おわったあとで、アスパラさんキキさんユーリさん小夜さんはらぐちさんりっとさんと飲み屋でぺらぺらぺーらと話し続ける。憂鬱大学院話(笑)、詩人における美人論(「美人ははげしく自己主張しない」BY某氏)、自己との闘いの析出の仕方について、女の子ってかわいいけど恋愛って面倒だよねと言う話(恋愛しないで女の子を賞賛していたいはなし)、性欲の面倒さについて、詩と不幸スパイラルについて、詩を思い出すことと思い出さないこと(囚われ)について、フレージズムと全体イズムについて。はなしがおわったら11時過ぎてた。鬱はどうしたんだと言う勢い。


終わったらはげしく雨が降っていた。自転車でつっきって帰った。僕もまた楽譜が濡れるといけないので(笑)、コンビニに入り安い買い物をした上、「いちばんでっかいビニール袋をください」と言った。その袋にかばんをつっこんで、しかしやはり本体つまり私はずぶ濡れになって、夜を横切っていくのだった。(ぱろってごめん)