circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

つまり、詩とか作文とか日記とか、それをよんでもらうと言うことによってつながろうと試みているわけだろうと思うのです、僕がです、そしてそれをときどき冷静に見直してみると、その手段と化している詩とか作文とか日記とかが非常に情けないわけですねかっこ悪いわけですねつまりたとえば紙媒体みたいな、そういうコミュニケーション的部分をばっさり切ってしまった媒体に乗ることが可能なほどのものなんて一つもなかったりするんじゃないかと思ったりするわけですね。コミュニケーションはなくては生きていけないからそれも必要だけど、あんまり手段に堕ちているかもしれないなんてふと思ったのです。てかオレダメ人間だ。速く寝ろ。ダメ人間はネットするんじゃねえ。あ、これが要するに結論なんだな。僕に関して。