circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

自分メモ:小説 君の名は。(新海誠)

2016年の作品。映画未見(これから見る)。新海さんの作品はwikipによると英題がオリジナルでついているそうでこれは"your name."小文字始まりである。君の名は。という助詞「は」はそのあとに何かが来ることを予感させたまま句点で閉じているのでこれは実際のところ"Your name is...?" みたいなものではないだろうか。名詞句とピリオドだけでは助詞「は」の感じは出ないんじゃないか、ただ君の名前。ってなってるような気がする。ネイティブじゃないかからわからないけれど。

さいしょから勝手な苦手意識(音楽が鳴り続ける映画は好みではないし、さらにそこにBGMなのに歌詞があるならば、セリフと重なると言葉の過剰でないか)をもっていた人の作品だけれど、自分では意外に思うほど後半に惹かれていった。身体を交換している前半部は瀧(たき)という男主人公が身体の移った先の三葉(みつは)という女主人公の胸を揉んだりして、これもまた、たった5年後の2021年の基準では不可なのではないかと思ったり、そもそも高校性男子が胸で終わるわけないだろ、とはげしくつっこんだりするのですが…瀧といえばもっとやってしまうはずで(関係ない) 以下ネタバレ

その中途半端な温度感(胸を揉むぐらいにしておこうという配慮、あくまでセックスの話題に立ち入らない)が気持ち悪い一方で、身体が入れ替わらなくなった後半の瀧君が三葉への恋を自覚し始めてからの透明さが良いですね、と思いました。みつは、という名前がまずとても良い。届かない響きの名前をしている。み、と つ で閉じておきながら、は、でふっと上昇する。みつで閉じると壇蜜の閉じた秘密感につながるが、そこに は がくる意外さがある。そして、三という数字であることの意味がなかなか明かされないこと。

君の名前を思い出すことがテーマの小説だったり映画だったりするので、そのなまえがすばらしいだけで、すでにこの小説は勝っている。

p227とp228のページめくりの一瞬に、映画がある。この2ページを読めてよかった。

四谷に終わる、というのもせこくて。小説では、最終シーンは四谷とは書かれていないが、その一つ前の奥寺先輩とのシーンは「四ツ谷」と記名がある、p236。そして映画では四谷駅でふたりはすれ違い、wikipによると瀧は中央線の次の新宿駅で、三葉は総武線の次の千駄ヶ谷で降り、お互いをさがして歩くようである。その場所が須賀神社の階段であるのは現実の地図とはすこし合わない)。四谷はわたしにとってのひとつの天国の土地であり、須賀敦子がカティアと再開して桜の花のうつくしさに呆けるあまりに美しい描写のある土地でもある。そして須賀神社