circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

自分メモ:涼宮ハルヒの憂鬱(谷口流)

2003年の作品。いまさらラノベの古典を読み始める。ビブリアもその動機。比べると後者の方が知的好奇心をくすぐるもので、それをもって後者を「ライト文芸」(ラノベに対照して、)と呼ばせしめるらしく、ふむふむ勉強になる。

文体はキョンがただひとりごとを言っている、あるいは読者を友人であるかのように軽く語り掛け続ける。冒頭。

サンタクロースをいつまで信じていたかなんてことはたわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいいような話だが、それでも俺がいつまでサンタなどという想像上の赤服じーさんを信じていたかというとこれは確信を持って言えるが最初から信じてなどいなかった。

この「赤服じーさん」を面白く読めないでいる私は、2021年に存在しているからなのか、対象年齢から外れたからなのか。後者のような気がする。少し斜めからものを言ってみる年齢が私にもあったはず。あと、写しながら気が付いたのだが読点が極端に少ない。ちなみに一文も長いのだが(句点も少ない)。一冊を通して独り言を聞かされ続けるのだがそれでも(少なくとも私は)飽きが来ないのはこの読点の少なさがスピード感に繋がっているのではないかと思う。

セカイ系というのだろうか、学園生活が、その中に存在する一人の女の子がそのまま世界の危機とつながっている。2021年に読んでいると、なつかしいような感じがする。この後に脱力や日常系が来ることになる。躁うつ病みたいだな。

適当に拾ってきたフリーCGIのアクセスカウンタ

 とか、懐かしくて泣きそうな文字列である。HTMLとか手打ちしてるのかな。HTML、覚えたけどもう意味なくなっちゃったな。とか考えた。

中に、無意味にハルヒに無理やりセクシーなコスプレをさせられ続けるみくるちゃんという登場人物がいて、これも2021年に出てきたら問題になっていただろうと思いながら。みくるちゃんはただセクハラをされることによって、あるいはその際に目立つ胸の大きさだけによってキャラクター付けされていて、そのただ受け身の形でのキャラ立ちはどうなんだろう。

クビキリサイクルが2002年、ハルヒが2003年、日常が2006年、けいおん!が2007年、まどか☆マギカが2011年。