circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

自分メモ:転職の思考法(北野唯我)

敢えて小説型で書いてあるビジネス書という分野がある。その狙いは何かと考える。この本の場合文学性を狙っているわけではなさそう。

170センチ弱はあるであろう、スレンダーな体から流れる、美しい髪。そして少し日焼けしたきめ細かい肌。こんな異性に街で声をかけられたら、男なら誰でも止まる。だから、息をのんだ。 

 というのがヒロインの導入である。文学性を狙っているのでなければ、ストーリーにする意味は読者の没入、同一化による導入の容易化ということだろうけれど、読者が「男なら誰でも」とまると言われたときに、もしわたしが男性読者であれば、「誰でも」から疎外されることにより、目的は阻害されるだろう。もしわたしが女性読者であれば、やはりこのように滑らかな物語の装置として置かれる典型的なヒロイン描写に、これはシニア層をターゲットにするラジオ番組のアシスタントか、とつっこんでみることだろう。

そして凄腕のコンサルタントが絵に描いたように完璧に表れてくる。例えば彼の劣等感は描かれない。

人のマーケットバリューは3次元の掛け算であると説く。

  1. 業界の生産性:業界全体で一人当たりどれだけ粗利を出しているか。激務かどうかは関係ない。生産性は業界間で最大20倍の差異がある。技術資産、人的資産のない人間は生産性が高い産業か、成長している(エスカレータが上を向いている)産業を選ぶべき。
  2. 技術資産:価値のある技術。専門性と経験の2要素からなる。20代は専門性(業種紐付き、汎用化容易、のぼり詰めるには生来のセンスが必要)、30代以降は経験(業種に紐つかない、汎用化困難、重要なのはポジショニングなのでコントロール可能)を重視せよ。いずれにせよ他の会社でも展開できるものでなければ無意味
  3. 人的資産:誰とも仲良くなれる。かわいげ。40代は人脈。

他の誰かが作った船に後から乗り込んでおきながら、文句を言うのは筋違い 

須賀敦子の、というかサン=テグジュペリの例の大聖堂に関する言葉が頭をよぎるフレーズだ)

なので、社長や上司の顔色を見ながら働き、評価されないと彼らに不満を言うようではだめだ、マーケットを見て仕事をしろ、カネを稼ぐ力を身に着けろ、という。それが自分の人生を選ぶ力だという。先日のサイバラさんの本と同じ結論に達する。

ピボット型キャリアの考え方(略) 自分の強みに軸足を残しながら、もう片足を今後強くなる部分に少しずつ、ずらしていくという考え方(略) 波が消えそうになる前に次の波に移っていく。(略) 人の根本的な特徴(は、略)サラリーマンは乗っている船が危ないとなったらむしろかたくなに動こうとしなくなる。この会社にしがみつきたい!と考える。だが、それは悪手中の悪手。

10年前と全く同じサービスを、同じ顧客に売っている会社を選ぶ(のはぜったいにやってはいけないこと 略)。マーケットが成熟している可能性が高い。変化がないことは会社としてはいい側面もある。だが、新たに働く人間にとっては最悪だ。なぜなら、今から君が入っても確実に代替可能な存在にしかなれないからだ。つまり、コモディティになる。最低10年分は、先輩がいるということだからな」

 ここは難しいところだ。代替可能ではいけないのか。自分が大体不可能な仕事を切り開けるという自信はどこから出るのか。そして先輩がいることは駄目なのか。職人や伝統の否定のようにも響く。そもそも、成長しなくてはならないのか。成長即ち善、という、その間の即ちを私はもっと分解したいなあと思う。正確に成長とは言わず、変化と言っている(ただし、「伸びている」とも言っている)。老化する社会のなかで、成長に疑問が確実に抱かれはじめており、どう豊かに軟着陸していくか(できれば衰退せずに)ということが問われてくるだろう。それもまた、変化であるとして、それは競争を前提とするだろうか。

才能は不平等だが、ポジショニングは平等

百万人が参加しているゲームで一番を目指すのではなく、いずれ百万人が参加するゲームに一番乗りすること

そのゲームを見極めるカギは、業界の非効率を覆す強固なロジックがあるかどうか

ダイヤモンドは、周りはバカにするが、理屈から考えると正しいことに眠っている

変化していく世界を先読みすることはなかなか難しいとは思うのだけれど、転職というリスクを背負ったうえでそれをする人がたくさんいるわけではない(安定志向の人が多い)ということなのだろう、か。

成長できる環境がいいとかいう人間が嫌いだ。略 30代以降にとって、成長とは間違いなく自分の力でつかむものだ。だからこそ、自分が活躍できるかどうかを厳しく見極めろ。結局、成果を出しているやつに面白い仕事は来る。

1.「どんな人物を求めていて、どんな活躍を期待しているのか?」

2.「今一番社内で活躍し、評価されている人はどんな人物か? なぜ活躍しているのか?」

3.「自分と同じように中途で入った人物で、今活躍している人はどんな部署を経て、どんな業務を担当しているのか?」

この三つを聞いたうえで、自分が社内で活躍できるイメージを持てたらOK。反対に持てなければ、活躍できる可能性は低く、結果的に転職後に苦しむ可能性は高い。

会社選びの3つの基準

1.マーケットバリュー 2.働きやすさ 3.活躍の可能性

働きやすさとMVは長期的には一致する

さて活躍するという動詞について、私はどう考えるべきなのだろう。活躍できれば楽しいはずだが、ゼロサムゲームでないことを祈りたい。私も人も幸せであれと思うし、宮沢賢治主義なのか、私はどうも自分が順番的に最後まで不幸せを継続したいと願うようなところがある。そんな不幸せではない状況のくせに。

この本の革新的なのは次の部分だと思う:

「あれから、ずっと考えていました。でも、好きなものが何なのか、考えれば考えるほどわからないんです。もちろん、『ある程度好きなもの』は見つけられました。音楽とか映画とか。でも、『どうしてもやりたいこと』まで考えると、見つかりませんでした。」

「君は馬鹿だな。略 重要なのは、どうしても譲れないくらい『すきなこと』など、ほとんどの人間にはない、ということに気づくことなんだよ。略 人間には2パターンいる。そして君のような人間には、心から楽しめることなんて必要ないと言っているんだ。むしろ必要なのは、心から楽しめる『状態』なんだ。略 実際のところ、99%の人間が君と同じ、being型(どんな人でありたいか、どんな状態でありたいかを重視する)なんだ。そして、99%の人間は「心からやりたいこと:という幻想を探し求めて、さまようことが多い。なぜなら、世の中にあふれている成功哲学は、たった1%しかいないto do型の人間が書いたものだからな。」

なんとなく岡本太郎の本の表紙の顔が心に浮かんだ。

ないからといって悲観する必要は全くない。なぜなら、「ある程度やりたい事」は必ず見つかるからだ。そして、ほとんどの人が該当するbeing型の人間は、それでいいんだ 

いいのか…と思った。そして状態は二つある、自分と環境。自分は適切な強さと自分への信頼。環境は緊張と緩和のバランス。強さとはMV。自分にある程度のMVがあり、求められるperformance(環境)とMV(自分)がある程度釣り合っていること。(敵が倒せそうで倒せない程度であること。それが成長につながる)そしてうそをつかないこと。迷ったときに自分を嫌いにならない選択肢を選べること。うそをつかざるを得ないとき、to do 型の人間は「やりたいことのためには手段を択ばない」ができる。being型は精神的に逃げ場がない。環境のほうは、半年に悪い緊張が10以上ないこと、いい緊張が3つ以上あること。それが緊張と緩和のバランスだという。

好きなものをどうやって探すのか。

他の人から上手だと言われるが、じぶんではピンとこないものからさがす

普段の仕事の中でまったくストレエスを感じないことから探す

得意なことを好きなことに近づけること。

自分をラベリングし、そのラベルを強固にする判断軸で仕事を選ぶこと。

ごく普通のことがほめられて、最初はいらっとすらするが、 好きという気落ちに気づく、ということがある、ということ。