circustic sarcas

Diary of K. Watanabe

たゆたううみのむこうに、あたたかな愛があるにちがいない。そう思ってぼくは船にのらない、のらないでうみを見ていた。くじらと、くじらを憧れるひとはどちらの方が自由なのだろう。憧れることができることにきっと自由があるのだから、ぼくは泳がないで泳いでいる子どもたちを遠くで眺める子どもでした。背中を向けておいた本。本を読む子どもたち。虫を取りに出かける子どもたち。彼らもまたくじらのようなものであったのかもしれません。